일본 유일의 메가 처치, 도쿄 신주쿠에 있는 요한동경기독교회(요한동경교회)는 매주 한국인 2000여 명, 일본인 1000여 명, 중국인 700여 명이 모인다. 일본 열도 50여 곳에 요한교회라는 이름의 지교회가 있다. 기독교인 비율이 0.4%밖에 되지 않는 척박한 땅, 한 교회에 교인이 40~50명만 되도 꽤 많은 축에 속하는 현지 상황에 비춰 볼 때, 요한동경교회는 한 일본 목회자의 말마따나 '괴물 같은 교회'다.

요한동경교회를 담임하고 있는 김규동 목사는 일본 교계에서는 전설 같은 존재다. 29년 동안 사역하며 열도에서 가장 규모가 큰 교회를 만들어서만은 아니다. 김 목사는 1998년 5월 일본 극좌 세력에게 테러를 당했다. 무차별한 폭행으로 양 다리와 팔이 모두 부러지고 광대뼈가 으스러졌다. 오른팔에는 칼을 맞았다. 죽을 것이라는 예상을 깨고 김 목사는 살아났다. 그때부터 그에게는 '살아 있는 순교자'라는 별명이 따라붙었다.

사람들은 요한교회의 승승장구를 보며 '일본 선교의 가능성을 본다'고 말한다. 하지만 요한교회의 공격적인 선교와, 무조건적인 충성을 강요하는 분위기를 비판하는 사람들도 많다. 이런 이유로 3년 전 '요한동경교회 피해자 모임'이라는 인터넷 카페도 생겼다. 일본의 많은 교회들도 요한교회를 경계하고 있다. 김 목사가 테러를 당한 것도 무례한 선교 방법을 고수해 일본 극좌 세력들을 자극한 결과라고 말하는 사람들도 있었다.

안마해 달라며 집·목양실로 불러…추행 거절하면 폭행

▲ 일본 최대 규모의 교회, 요한동경교회 김규동 목사가 여사역자들을 상습적으로 성추행했다는 의혹이 불거졌다. 요한동경교회 사역자 출신인 세 여성은, 김 목사가 집이나 목양실로 불러 마사지를 요구했고 이 과정에서 자신들의 몸을 더듬었다고 밝혔다. ⓒ뉴스앤조이 구권효

여러 가지 말이 많지만 김규동 목사가 일본에서 일가를 이룬 것은 사실이다. 일본 사회에서 요한동경교회의 과격한 전도 방식과 절대 충성의 문화는 광신적 숭배를 뜻하는 '컬트(cult)'로 비치기도 했다. 하지만 김 목사가 노방 전도를 중요시하는 한국대학생선교회(CCC) 출신이라는 점과 요한교회 조직이 CCC의 '순' 체제를 적용했다는 점을 감안하면, '방식에는 다소 문제가 있지만 일본 선교에 대한 열정은 뜨겁다'는 정도로 용인될 수 있었다. 무엇보다 요한동경교회에서 하나님의 은혜를 경험하고 일본 선교에 헌신하는 청년들이 계속 나왔다.

그런데 올해 6월, 김규동 목사가 수년에 걸쳐 여러 차례 여교역자들을 성추행했다는 제보가 들어왔다. 직접 성추행을 당했다고 털어놓은 사람이 한 명도 아니고 세 명이었다. 이들은 모두 2000년대에 요한동경교회에서 사역자로 헌신했고, 지금은 교회를 나와 한국에서 생활하고 있었다. 짧게는 8년에서 길게는 11년까지 요한동경교회에 다니면서 20대 청년 시절을 일본 선교에 바친 사람들이었다.

<뉴스앤조이>는 김규동 목사에게 성추행을 당했다는 여성 A, B, C를 직접 만났다. 이들은 김 목사가 전화로 자신의 집이나 목양실로 불러 마사지를 시켰다고 했다. 김 목사가 새벽에도 수차례 불러냈다고 말했다. 다음은 피해 여성들이 기자와 대화에서 토로한 내용이다.

A는 2002년 도쿄로 어학연수를 갔다가 요한동경교회에 출석하게 됐다. 그곳에서 예수님을 인격적으로 만나고 일본 선교에 헌신했다. 이후 A는 요한동경교회 자체 헌신자 프로그램인 JMTS(선교신학원) 과정을 이수하고, 간사를 거쳐 2012년까지 전도사로 사역했다.

김 목사가 A에게 마사지를 부탁한 건 2010년 여름부터였다. 김 목사는 A에게 전화해 집으로, 목양실로 와 달라고 했다. A는 김 목사가 누워 있는 상태에서 그의 어깨와 다리를 주물렀다. 3년에 걸쳐 10회 정도 안마를 했다. 처음에 얌전히 마사지만 받던 김 목사는 점점 A의 몸을 더듬기 시작했다. 2010년 일본 코스타를 며칠 앞둔 시점에는, A를 교회 옥상 자재 창고로 불러내 억지로 성관계를 시도하기도 했다.

B는 2002년 워킹 홀리데이로 일본에 갔다가 요한동경교회를 다니게 됐다. 역시 요한동경교회에서 뜨거운 신앙을 경험하고 일본 선교에 헌신하기로 했다. 2006년 JMTS에 입학해 2009년까지 간사로 사역했다.

김규동 목사는 2006년부터 B를 불러 마사지를 받았다. B는 2009년까지 10번 정도 김 목사를 안마했다고 말했다. 김 목사는 처음에 어깨와 팔다리에 기본적인 안마만 받다가, 점점 무리한 것을 요구하기 시작했다. 전립선 마사지가 필요하다며 속옷 속으로 손을 집어넣어 안마해 달라고 했다. 김 목사는 거부하는 B를 폭행한 후, 우는 B를 달래면서도 "바지를 벗으라"고 말하기도 했다.

C는 2000년부터 요한동경교회에 출석했고, 2002년 일본 코스타에서 은혜를 받아 일본 선교에 헌신했다. JMTS 과정을 이수하고 간사로 2009년까지 사역했다.

C는 2007년부터 2009년까지 김규동 목사를 안마했다고 말했다. 처음에는 어깨와 다리만 주무르다가, 나중에는 배와 성기 쪽에도 마사지할 것을 요구받았다. 김 목사는 C의 귓불을 만지며 그에게 침대에 누웠다 가라고 몇 차례 말했다. 누워 있는 C에게 배를 만져 봐도 되느냐 물으며 배를 만지다가 점점 아래로 내려갔다. C는 김 목사의 손을 뿌리쳤다.

이들은 하나같이 김규동 목사가 자신들을 무자비하게 때렸다고 말했다. 전립선 마사지나 성관계를 거절하면 김 목사가 주먹질과 발길질을 서슴지 않았다는 것이다. 이들은 요한동경교회 내 여성 사역자들의 리더 격인 이 아무개와 김 아무개 선교사에게 사실을 알리고 도움을 요청했지만, 이들도 김 목사의 손에서 피해자들을 지켜 주지 못했다.

부교역자들, "김 목사 타격 입으면 복음 전파 어려워진다"

세 여성들의 피해 소식을 들은 후, <뉴스앤조이>는 7월 21일부터 김규동 목사와 연락을 시도했다. 김 목사에게 공문을 보내고 전화를 걸어 해명을 듣기 원한다고 했다. 몇 번의 연락 끝에 7월 28일 요한동경교회에서 김 목사와 만나기로 약속했다.

약속한 날짜가 다가오는 며칠 동안, 요한교회 부교역자들은 피해 여성들에게 접근했다. 위에서 언급한 이 아무개 선교사는 피해자에게 페이스북으로 메시지를 보내 "대화로 문제를 해결하자"는 의사를 피력했다. 김 아무개 선교사는 일본에서 한국으로 건너왔다. 한국에서 사역하는 요한동경교회 출신 홍 아무개 목사와 함께 피해자의 남편이 사역하는 교회로 찾아가 언론 보도를 막아 달라고 당부했다. 그렇지 않으면 법적인 대응을 할 수밖에 없다는 말도 했다.

부교역자들은 김규동 목사가 벌인 일에 대해서는 부인하지 않고, 피해자들에게 "용서하라"고 말했다. 그들은 '일본 선교'라는 대의를 내세웠다. 요한동경교회가 타격을 받으면 일본에 복음이 전파되는 것이 주춤해진다는 논리를 폈다. 또 교회에 남아 있는 사람들을 생각하라며 "네가 받은 상처만큼 교회에 모든 이가 상처받고, 네가 실족한 만큼 그들도 낙심하면 흡족하겠느냐"고 말하기도 했다.

홍 목사는 <뉴스앤조이>와의 통화에서, 김 목사가 진정으로 사과할 수 있도록 기다려 달라는 부탁을 하려고 피해자들에게 연락했다고 말했다. 그는 김 목사 스스로도 지금 상황을 받아들이는 시간이 필요하다고 했다. 또 이번 일이 공개적으로 드러나면 연약한 교인들이 시험에 들까 봐, 자신은 목자로서의 책임을 다하려고 피해자들을 찾아간 것이라고 했다. 회유하거나 압박을 가하려는 의도는 아니라고 했다.

김규동 목사, "책임은 지지만 성추행은 '오해'"

▲ <뉴스앤조이>는 7월 28일 요한동경교회에서 김규동 목사와 교회 관계자들을 만났다. 김 목사는 모든 책임을 지고 사역을 내려놓겠다고 했으나, 상습적인 성추행에 대해서는 애매모호한 태도를 보였다. 오른쪽부터 김규동 목사, 아내 김 아무개 씨, 이 아무개 장로, 이 아무개 선교사. ⓒ뉴스앤조이 구권효

7월 28일, 약속대로 요한동경교회에서 김규동 목사를 만났다. 이 자리에는 김 목사와 아내 김아무개 씨, 이 아무개 선교사, 이 아무개 장로가 동석했다. 김 목사는 성추행 사실을 묻는 기자의 질문에, "내가 미쳤었나 보다"며 입을 뗐다. 그는 책임을 지고 모든 사역을 내려놓을 것이라고 말했다. 요한동경교회에서 설교를 비롯한 일체의 사역을 그만두고, 8월 12일부터 시작되는 일본 코스타 준비위원장 자리에서도 물러나겠다고 밝혔다. 이미 교회 중직들에게도 말해 놨다고 했다.

하지만 김 목사는 피해자들이 진술한 상습적인 성추행은 인정하지 않았다. 단지 "그동안 사역자의 높은 윤리적 책임을 가르쳐 왔기 때문에, 이 모든 일이 나의 부덕의 소치임을 인정하고 사역을 내려놓겠다"고 말했다.

피해 여성들의 말과는 달리, 김 목사는 먼저 여사역자들에게 전화해 마사지를 부탁한 적이 없다고 말했다. 김 목사는 98년 테러를 당해 팔다리가 다 부러진 적이 있어서 꾸준히 마사지를 받아야 하는 상태라고 했다. 오해를 살까 봐 항상 남자들에게만 마사지를 받아 왔다고 했다. 오히려 여사역자들이 자신에게 먼저 전화해 마사지를 해 주겠다고 제안해 왔다는 것이다.

A는 10여 번에 걸쳐 김규동 목사에게 마사지를 해 주었다고 말했지만, 김 목사는 A에게 안마를 받은 적이 한 번도 없다고 주장했다. A가 하도 말을 안 듣고 선배 사역자에게 대들어서 머리를 한 번 쥐어박은 후 위로해 준 게 전부라고 했다. 눈물을 흘리는 A의 어깨를 토닥이고 등을 쓸어내린 것을 A가 오해한 것 같다고 말했다.

B의 경우는, B가 먼저 마사지를 해 주겠다며 자신의 집으로 찾아왔다고 말했다. 자신의 잘못은 그것을 뿌리치지 못한 것이라고 했다. 기자가 "그러면 B가 먼저 전립선 안마까지 했다는 것이냐"고 묻자, 김 목사는 "그건 내가 먼저 해 달라고 한 게 맞다"고 인정했다. 그는 "만진 게 아니라 좀 스친 것뿐"이라고 덧붙였다.

"침대에 누워 보라"는 말은 C에게 안마를 받다가 C가 피곤해 보여 잠깐 쉬라는 뜻으로 한 말이었다고 설명했다. 여교역자에게 안마를 받는 게 아무래도 오해를 받을 만한 상황인 거 같아서 자신은 일어나 방 밖으로 나가려고 했는데, C가 자신을 덮치려는 것으로 오해한 것 같다고 말했다.

이 세 명 외에 다른 여교역자와의 부적절한 스킨십은 없었느냐는 기자의 질문에, 김규동 목사는 "성적으로 오해할 만한 상황은 이 세 사람에게만, 딱 한 번씩 일어난 일"이라고 해명했다. 또 그런 일이 있고 난 후 곧바로 피해자들에게 사과했다며, 당시에는 그들도 다 이해하고 넘어갔다고 했다. 몇 년이 지나고 나서 왜 다시 이런 일을 드러내고 언론에 제보했는지 당황스럽다고 밝혔다.

피해자들의 마지막 마음의 짐, '일본 선교'

피해 여성들은 사실 김규동 목사에게 당한 성추행을 드러내는 걸 원하지 않았다. 이들은 요한동경교회를 뛰쳐나올 때까지, 이런 일은 자신만 겪었을 것이라고 생각했다. 무덤까지 가져갈 비밀로 가슴에서 삭이고 한국에서 생활하고 있었다. 그러다 옛 동료들을 만나, 서로가 비슷한 일을 겪었다는 사실을 알게 되자 마음이 바뀐 것이다. '어쩌면 지금도 그 안에서 당하는 사람이 있지 않을까', 자신들과 같은 사람이 더는 나오지 않기를 바랐다.

하지만 '일본 선교'라는 대의는 피해자들에게도 마음의 짐이었다. 부교역자들의 말마따나 김규동 목사의 탈선이 드러나면 일본 선교가 어려워지지 않을까 염려가 컸다. 사실 피해자들은 김 목사에게 당했다는 것 외에도, 자신이 일본 선교를 포기하고 한국으로 돌아왔다는 죄책감에 힘들어했다. 청춘을 바쳐서 사랑한 일본이었다. 이제 돌아갈 수는 없지만, 자신의 손으로 선교의 문까지 닫는다고 생각하니 견디기 어려웠다. 제보 후에도 몇 번이나 마음이 흔들렸다.

일본 선교는 요한교회가 아니라 하나님이 하신다는 사실을 인정하기까지는 여러 단계를 거쳐야 했다. 또 요한교회를 다니는 교인들이 진실을 알 권리가 있다고 생각했다. 그들은 상처받겠지만, 그 책임은 진실을 알린 사람이 아니라 진실을 감춘 사람에게 있다는 것도 깨닫게 됐다. 피해 여성들은 김규동 목사와 그의 성추행 사실을 알고도 방관한 측근들이 진정으로 하나님 앞에 회개하기를 원했다.

김규동 목사가 기자들과 만나 성추행 사실을 부인했다고 알리자, 피해자들은 참담한 심정을 감추지 못했다. 김 목사뿐 아니라 김 목사의 아내나 이 아무개 선교사도 모든 걸 알고 있으면서, 어떻게 이렇게까지 뻔뻔하게 거짓말을 하는지 모르겠다고 분노했다. 

※ 아래는 위 기사를 일본어로 번역한 것입니다.

日本の宣教代父、女性教役者に対する常習的なセクハラの疑い
ヨハン東京教会のキム․ギュドン牧師、使役は降ろすが疑いは全て否認

日本唯一のメガチャーチ、東京都新宿にあるヨハン東京基督教会(ヨハン東京教会)は、毎週韓国人2000余名、日本人1000余名、中国人700余名が集まる。日本列島50か所にヨハン教会という名の支教会がある。キリスト教徒の比率が0.4%にしかならない痩せ地、一個の教会に教徒が40~50人さえいればけっこう多い方だといえる現地の状況に鑑みと、ヨハン東京教会はある日本の牧会者の言葉どおりに「モンスターのような教会」だ。

ヨハン東京教会を担任しているキム․ギュドン牧師は、日本の教界では伝説のような存在だ。29年間使役しながら列島で最も規模の大きい教会を建てたからだけではない。キム牧師は、1998年5月日本極左勢力からテロを受けた。無差別な暴行で両足と腕が全部折れ、頬骨が潰れた。右腕はナイフに切られた。死ぬだろうという予想を破って、キム牧師は生き返った。それから、彼には「生きている殉教者というあだ名が付いた。

人たちはヨハン教会の勢いを見ながら「日本宣教の可能性を見る」と言う。しかし、ヨハン教会の攻撃的な宣教と、無条件な忠誠を強いる雰囲気を批判する人たちも多い。このような理由で3年前「ヨハン東京教会の被害者の集まり」というインターネットコミュニティもできた。日本の多くの教会もヨハン教会を警戒している。キム牧師がテロを受けたのも、無礼な宣教方法を固守し日本極左勢力を刺激した結果だと言う人たちもいた。

マッサージしてくれと家・牧師室に呼び…醜行を断ると暴行

口がうるさいがキム․ギュドン牧師が日本で一家を成したのは事実である。日本社会でヨハン東京教会の過激な伝道のやり方や絶対的な忠誠の文化は狂信的崇拝を示す「カルト(cult)」に映ることもあった。しかし、キム牧師が路傍伝道を重んじる韓国大学生宣教会(CCC)出身であることや、ヨハン教会の組織がCCCの「筍」体制を適用したということを考え合わせると、「方式はやや問題があるが、日本宣教に対する熱情は熱い」というくらいで容認されるべきだった。何よりヨハン東京教会で神様の恵みを経験して日本宣教に献身する若者たちがずっと出た。

ところが、今年6月、キム․ギュドン牧師が数年にわたり数回女性教役者たちにセクハラをしたという通報が入った。直接セクハラを受けたと打ち明けた人が一人でもなく三人だった。彼女たちはみな2000年代にヨハン東京教会で使役者として献身し、今は教会を出て韓国で暮していた。短くは8年間から長くは11年間までヨハン東京教会に通いながら20代の青年時代を日本宣教に捧げた人たちだった。

<ニュースアンドジョイ(NEWSNJOY)>はキム․ギュドン牧師にセクハラを受けたという女性A、B、Cを直接会った。彼女たちは、キム牧師が電話で自分の家や牧師室に呼びマッサージをさせたと話した。キム牧師が夜明けにも数回呼び出したと言った。次は被害女性たちが記者との会話で吐露した内容である。

Aは2002年東京へ語学研修に行って、ヨハン東京教会に出席するようになった。そこで神様に人格的に出会い、日本宣教に献身した。以降Aはヨハン東京教会の自体の献身者プログラムであるJMTS(宣教神学院)過程を履修し、幹事を経て2012年まで伝道師として使役した。

キム牧師がAにマッサージを頼んだのは2010年の夏からだった。キム牧師はAに電話し家に、牧師室に来てくれるように言った。Aはキム牧師が横になってる状態で彼の肩と足を揉んだ。3年間にわたり10回ほどマッサージをした。最初は大人しくマッサージを受けていたキム牧師は、だんだんAの体を触りはじめた。2010年日本KOSTAの数日前には、Aを教会の屋上の資材倉庫に呼び出しむりやりに性関係をしようとした。

Bはワーキングホリデーで日本に行って、ヨハン東京教会に通うようになった。またヨハン東京教会で熱い信仰を経験し、日本宣教に献身することにした。2006年JMTSに入学し、2009年まで幹事として使役した。

キム․ギュドン牧師は2006年からBを呼んでマッサージを受けた。Bは2009年まで10回ほどキム牧師をマッサージしたと言った。キム牧師は最初は肩と手足に基本的なマッサージだけ受けたが、だんだん無理なことを求めはじめた。前立腺マッサージが必要だと下着の中に手を入れてマッサージしてほしいと話した。キム牧師は拒否するBを暴行した後、泣くBを宥めながらも「ズボンを脱げ」と言ったりした。

Cは2000年からヨハン東京教会に出席し、2002年日本KOSTAで恵みを受け日本宣教に献身した。JMTSの過程を履修し、幹事として2009年まで使役した。

Cは2007年から2009年までキム․ギュドン牧師をマッサージしたと話した。最初は肩と足だけ揉んでいたが、後には腹と性器の方にもマッサージすることを要求された。キム牧師はCの耳たぶを触りながら、彼女にしばらくベッドに寝るよう数回言った。横になっているCに腹を触ってみてもいいか聞いて、腹を触りながら徐々に下へ移した。Cはキム牧師の手を振り切った。

彼女たちは同じようにキム․ギュドン牧師が自分たちを無慈悲に殴ったと話した。前立腺マッサージや性関係を断ると、キム牧師がこぶしを振り回したり、足で蹴ったりしたというのだ。彼女たちはヨハン東京教会内の女性使役者たちのリーダー格のイ某とキム某宣教師に事実を知らせて助けを要請したが、彼らもキム牧師の手から被害者たちを守ることができなかった。

副教役者たち、「キム牧師が打撃を被ると、福音が伝えにくくなる」

三人の女性たちの被害を聞いた後、<ニュースアンドジョイ>は、7月21日からキム․ギュドン牧師と連絡を取ろうとした。キム牧師に公文を送り、電話をかけて解明を聞きたいと話した。数回の  連絡の末に7月28日ヨハン東京教会でキム牧師と会うことを約束した。

約束した日が近づく数日間、ヨハン教会の副教役者たちは被害女性たちに接近した。上で述べたイ某宣教者は、被害者にFacebookでメッセージを送り、「会話で問題を解決しよう」という意思を披瀝した。キム某宣教者は日本から韓国へ渡ってきた。韓国で使役するヨハン東京教会出身のホン某牧師と一緒に被害者の夫が使役する教会を訪ね、言論報道を止めてくれることを頼んだ。そうしないと、法的な対応をするしかないという話もした。

副教役者たちは、キム․ギュドン牧師がしたことについては否認せず、被害者たちに「許せ」と言った。彼らは「日本宣教」という大義を打ち出した。ヨハン東京教会が打撃を被ると、日本に福音が伝わるのがぐずぐずになるという論理を張った。また、教会に残っている人たちのことを考えろと、「あなたが受けた傷ほど教会のみんなが傷付いて、あなたが誤ったほど彼らも落ち込んだら満足するのか」などと話した。

ホン牧師は<ニュースアンドジョイ>との通話で、キム牧師が誠に謝れるよう待ってほしいと頼むために被害者たちに連絡したと話した。彼は、キム牧師自らも今の状況を受け入れる時間が必要だと話した。また、今回のことが公開的に知られたら弱い教徒たちが試されるかも知れないので、自分は牧者としての責任を尽くそうと被害者を訪ねたのだと話した。懐柔や圧迫するつもりではないと話した。

キム․ギュドン牧師、「責任は取るが、セクハラは『誤解』」

7月28日、約束の通りヨハン東京教会でキム․ギュドン牧師に会った。この席にはキム牧師と妻のキム某氏、イ某宣教師、イ某長老が同席した。キム牧師はセクハラの事実を聞く記者の質問に、「私が狂っていたようだ」と口を切った。彼は責任を取り、全ての使役を降ろすと話した。ヨハン東京教会で説教を含む一切の使役を辞め、8月12日から始まる日本KOSTAの準備委員長の席からも退くと表した。すでに教会の重職たちにも言っておいたと話した。

ところが、キム牧師は被害者たちが供述した常習的なセクハラは認めなかった。ただ「その間使役者の高い倫理的責任を教えてきたので、この全てのことが私の不徳のせいであることを認め、使役を降ろす」と話した。

被害女性たちの話しとは違い、キム牧師は先に女性使役者たちに電話してマッサージを頼んだことがないと話した。キム牧師は、98年テロを受け手足が全部折れたことがあるから、持続的にマッサージを受けなければならない状態だと話した。誤解を招くかもしれないので、いつも男の人たちだけにマッサージを受けていたと話した。むしろ女性使役者たちが先に自分に電話し、マッサージをしてあげると勧めてきたというのだ。

Aは10回にわたりキム․ギュドン牧師にマッサージをしたと話したが、キム牧師は、Aにマッサージを受けたことは一回もないと主張した。Aがどうにも言うことを聞かず先輩の使役者に手向かうから、頭を一回小突いてから慰めたのが全部だと話した。涙を流すAの肩を軽くたたいて背中をさすったのを、Aが誤解したようだと話した。

Bの場合は、Bがまずマッサージをしてあげると自分の家を訪ねたと話した。自分の誤りはそれを振り切れなかったことだと話した。記者が「そうすると、Bが前立腺のマッサージまでしたというのか」と聞くと、キム牧師は「それは私が先にしてほしいと言った」と認めた。彼は「触ったのではなく、少し擦れただけ」だと加えた。

「ベッドに寝てみろ」という話は、CにマッサージをうけていたらCが疲れているように見えて、ちょっと休めという意味で言ったと説明した。女性教役者にマッサージを受けるのがどうやら誤解を招くような状況だと思い、自分は起きて部屋を出ようとしたが、Cが自身を襲おうとしたと誤解したようだと話した。

この三人の他に女性教役者との不適切なスキンシップはなかったのかという記者の質問に、キム․ギュドン牧師は「性的に誤解を招くような状況はこの三人だけに、だった一回ずつ起ったことだ」と解明した。また、あんなことが起ってからすぐ被害者に謝ったと、当時は彼女たちも全て理解して済んだと話した。数年が経ってからなぜ再びこんなことをさらけ出して言論に通報したのか、当惑していると表した。

被害者たちの最後の心の荷物、「日本宣教」

被害女性たちは、実はキム․ギュドン牧師に受けたセクハラのことを打ち明けたくなかった。彼女たちたちはヨハン東京教会を飛び出すまで、このようなことに遭ったのは自分だけだと思った。墓まで持っていく秘密だと心の中で静め、韓国で暮していた。ところが、昔の仲間に会い、お互いに同じようなことに遭ったという事実を知ったら、気が変わったのだ。「もしかしたら、今もその中で被害を受けている人がいるのではないか」と、自分たちと同じ人がこれ以上は生じないで欲しかった。

しかし、「日本宣教」という大義は、被害者たちにも心の荷物だった。副教役者たちの言うとおり、牧師の脱線が表われたら日本宣教が大変なことになるのではないかと心配になった。実は、被害者たちは、キム牧師に被害を受けたということ以外にも、自分が日本宣教を諦めて韓国に帰ってきたという罪悪感で苦しんでいた。青春を捧げ愛した日本だった。もう戻ることはできないが、自分の手で宣教の扉まで閉めると思うと耐えづらかった。通報の後も何回も心が揺れた。

日本宣教はヨハン教会ではなく神様がなさるということを認めるまでは、多くの段階を経なければならなかった。また、ヨハン教会に通う教徒たちが真実を知る権利があると考えた。彼女たちは傷付くだろうが、その責任は真実を知らせた人ではなく、真実を隠した人にあるということも気付いた。被害女性たちは、キム․ギュドン牧師や彼のセクハラのことを知ってからも放っておいた側近たちが真に神様の前で悔い改めて欲しかった。

キム․ギュドン牧師が記者らと会いセクハラのことを否認したと知らせたら、被害者たちは惨憺たる心情を隠せなかった。キム牧師だけでなくキム牧師の妻やイ某宣教師も全てのことを知っているのに、どうしてそんなに厚かましく嘘をつくのか理解できないと憤った。

저작권자 © 뉴스앤조이 무단전재 및 재배포 금지